麻布競馬場による悲しき孤独なるブルジョワたちの宴-この部屋から東京タワーは永遠に見えない-

東京は儚い。

 

東京はキラキラしている。

 

東京は夢の圧縮度がエグい。

 

だが、東京は残酷だ。

 

夢見るものを平気で突き落とす。

 

憧れを持つものを平気でどん底に追いやる。

 

しかし、「東京」はただそこにあるだけだ。

 

ただ、座して動かず蜃気楼のように儚く美しくゆらゆらゆらめくだけだ。

 

競争から敗れたものがけが、そこから否応なく離れていく。

 

 

「3年4組のみんな、高校卒業おめでとう。最後に先生から話をします。大型チェーン店と閉塞感のほかに何もない国道沿いのこの街を捨てて東京に出て、早稲田大学の教育学部からメーカーに入って、僻地の工場勤務でうつになって、かつて唾を吐きかけたこの街に逃げるように戻ってきた先生の、あまりに惨めな人生の話をします。」
本文P5

 

持つものと持たざるものの差、勝者と敗者の明確なる分断。

 

茨城県つくば市で営業をしていた頃、自己啓発書を読み漁っては東京で起業してお金を稼ぎ、優雅な生活をして精神的に優雅な気持ちになる妄想ばかりしていた。

 

個人的に大義はあった。

 

社会貢献。

 

いかにも抽象的で、青二才な中二病が思い描きそうなワードを手段として自分の成り上がりを正当化しつつネットビジネスにはまっていったあの頃。

 

まとまった数十万円という額でコンテンツを買いあさる日々。

 

そして結果が出ずに、消費者ローンでの電話の対応だけが上手くなり続ける日々。

 

借金が少しずつ増えるほどに、首と胸のあたりの神経痛の痛みの大きさもエスカレーター式に増えていった。

 

無理だな。

 

あれほど、自分は騙されないと思っていたのにまんまとやられている自分がいる。

 

振り返れば、なぜあれほどに熱狂的にネットの世界に酔いしれたのか分からない。

 

与沢翼が「東京」という美しき概念の具現化だと思っていた。

 

視野が狭すぎる、思考が浅すぎる。

 

秒速で億は稼げなくてもいいから、せめても年間で億は稼ぎたいぜ。

 

そんな思いで彼と自分をだぶらせていた。

 

無理がありすぎる。

 

バックボーンが違いすぎる。

 

思考停止した自己肯定感強めの青二才20代男の成れの果てだ。

 

麻布競馬場という作家の「この部屋から東京タワーは永遠に見えない」というタイトルの本はそんな私とは違い、しっかりと東京で成果を出したアラサーのブルジョワたちの悲しく美しいストーリーの数々だ。

 

と私は思っている。

 

アフォリズムとは言い難いが、アンソロジーとは取れそうだ。

 

「これだけ軽やかに情けない話をかけるのは、すごい才能だ」とは堀江貴文氏が単行本のオビに寄せた言葉だ。

 

「頭に浮かべることすらはばかるような思いを全部代わりに吐き出してくれていた」とは峯岸みなみが単行本のオビに寄せた言葉だ。

 

軽やかに滑るように、心が歪曲した状況が抽出されている。

 

この文章表現には嫉妬する。

 

「東カレアプリの女の子。3000人のフォロワーが今日も、このイケてる街で華麗に遊ぶイケてるアラサー独身港区男子ツイートを楽しみに待っている」
本文P157

 

これだけ自分の心情を冷めた状態で客観視できるのは素敵すぎる。

 

現代に生きる太宰治だ、、、とまでは言わないまでも自虐の使い方が巧みすぎる。

 

そんなに最後の最後まで自虐的にならなくても、、、と同情すらしてしまう太宰ストーリーの流れとは似ているようだ。

 

「麻布競馬場」というネーミングの由来も卓越している。

 

東京で競争しているビジネス界隈の人間たちは、自分が自由にやりたいようにやっているようで、同じコース上を走らされているのに変わりはない。

 

結局ムチ打たれながら競争させられている点で凄く競馬場的であると皮肉り、それを名前にしたとのことだ。

 

自分の弱さもあぶり出して、言語として表現している点で、自然主義派の島崎藤村や田山花袋の要素もあるのではないか。

 

と個人的には思っている。

 

「東京」とは、モヤモヤと蜃気楼のように頭に浮かぶキラキラした概念で、あくまで概念上の話だけで手中に収めようとしても、雲をつかむようにどこも掴むことが出来ない。

 

ヒエラルキーの上位に立つのはごく限られた人間だけだ。

 

あとは、儚く散っていく必衰の理(ことわり)である。

 

しかし、奢れる人も久しからず。

 

ただ、春の夜の夢に同じ、ということだ。

 

「タワマン文学」と呼ばれるこの本。

 

人間が持つ「不安」や「恥ずかしさ」に名前をつけてみる、つまり文章化してみるということで対処の方法が見えてくると著者は説明している。

 

人々が表立って表現したくない、隠しておきたい恥ずかしい思い、嫉妬の思いを巧みにグッと掴み、ぐぐぐっと力を込めて文章に落とし込んでいる。

 

俺はこんなんじゃない、と否定したくなるその思いを無残にも否定してくる美しき文学。

 

この文学が持つ「虚無」と「諦念」を味わう至福のひと時を持ってみてはいかがだろうか。

 

ごーせん

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