小さいころから色んな童話を読んでもらったり、
自分で読んだりして大きくなった人は多いと思う。
童話には色んな人物が登場し、その群像劇たるや
子供の心をギュッと握って離さない。
昔から今に語り継がれる童話は、そこに人生の
エッセンスが濃縮されて展開されているから
子供が見ても大人が見ても感心させられるのでは
ないかと思っている。
そこで今回は誰もが知っているであろうシンデレラの
物語を取り上げて、どこにでもありそうなショーモナイ
家族の召使の立場だった彼女が一国の王子のフィアンセに
昇り詰めるまでのストーリーを拡大解釈してみたい。
〇この記事はこんなあなたにオススメ
・シンデレラの本当のストーリーを知らない人
・何かの分野で成功を掴みたい人
・成果を出すための時間管理術を知りたい人
〇目次
履いて捨てるほどのどこにでもいそうな平凡な
人間が一気に成功のスターダムを駆け上がる
過程をシンデレラストーリーと言ったりする。
じゃあ、そのモデルであるシンデレラのお話を
もっと深い独自の解釈で切り取ったらどうなるか考察したい。
これを読んだあなたはシンデレラのあの美貌の下に潜む
「人間的な、あまりに人間的な」ダークの部分を垣間見て恐れおののくであろう。
しかし、心配ご無用。
あくまでこれは、ごーせんの独断と偏見がなせる技である。
結論から申し上げると、かなりずる賢いと言える。
そして、自分がキレイで可愛い女の子であることを知っており、
それを利用してどうにかして人生のワンチャンスを掴みたいと
思っている。
その為には、ドブネズミも利用するしカボチャの馬車という
超能力だって駆使する。(独断と偏見です、この後も続きます)
彼女は何かの拍子にブドウ会があることを知った。
そして王子様が将来のフィアンセをそこで品定めすることも。
彼女はその時「ここしかない」と思った。
私が王子様と会い、人生を変えて成功を収めるためには
ここを逃してはならないと、彼女の全細胞が活気づき始めた。
そして、王子様ゲットの為の戦術と戦略を粛々と練り始めた。
彼女は自分にワンチャンスが来ることを予期して、
ドブネズミと心を通わせることを常日頃から行っていた。
案の定、その家のドブネズミたちはその家の住人のことと飼い猫を
良く思っておらず、その反面シンデレラの優しさに心を癒されていた。
ドブネズミたちは「ドブネズミである」が故に人間から、
忌み嫌われていることを長い期間気づいていた。
つまり、嫌われ者である彼らに愛の手を差し伸べれば、
彼らはきっと私の見方になるであろうと「ちょっと」だけ
下心を持っていたのがシンデレラであった。
アドラー心理学にこういう解釈がある。
何が与えられてるかではなく、与えられたものをどう使うかが重要である
彼女に与えられたものは召使という立場を除けばほとんど何もない。
唯一といっていいのは、ドブネズミとその他の動物たち。
彼女は、「それならこの動物たちを使ってどうやって目的を果たすか」を
考えていた。
その為に、彼女はドブネズミたちとその他の動物たちに愛を奉仕し続けた。
「そんな解釈なら、シンデレラは下心丸出しの下衆なヤツじゃないか!!」
という反論が聞こえてきそうだが、100%下世話でない人間なんていないという
のが僕の持論だ。
夏目漱石は、小説「こころ」の中の登場人物に、
この世の中には、良い人間と悪い人間がいるわけではない。
同じ人間の中に、良い部分と悪い部分があるだけだ。
と語らせている。
そもそも、人の心のうちを全部知ろうなんて出来やしない。
何もかも、良い人間と悪い人間、白黒ハッキリさせるのではなく、
グレーゾーンがあることを認めると視野が広がる。
シンデレラはドブネズミに愛を奉仕し続けた。
ドブネズミたちも、それを喜んで受け入れた。
その目的が何であれ、Win-Winの関係が継続されることに意味がある。
偽善行為を続ければ、それがその人のミッションになることだってある。
彼女の類まれなる観察眼とマネジメント能力によって信頼関係は構築されていった。
彼女はブドウ会の当日、張り切ってブドウ会に行こうと試みていたが、
継母の超絶な嫌がらせに遭遇してしまい、最初はその道が閉ざされたかに見えた。
しかし、これさえも利用と企む彼女の執念にも似たものが表象に浮かんだ。
なんと、魔法を使って(ここだけはメルヘンチック♪)カボチャの馬車をこしらえ、
信頼を構築していたドブネズミたちを馬に変身させブドウ会が開かれるお城までの
道のりを急いだのだ。
しかも、ブドウ会の時間も把握していたシンデレラは王子様とフィアンセ候補の
ブス達が踊りを踊って一回りしていったん落ち着くころに顔を出すようにしたのだ。
普通だったら時間に遅れるのはアウトだ。
しかし、それを逆説的に利用し王子様の脳裏に見事に強烈な印象を与えようとした。
彼女がギリギリ時間に遅れたり、丁度良いころ合いを見計らって訪れるということは、
常日頃から時間間隔に性格であるからなせる技である。
王子様も遅れてやってきた彼女を見て、ひと際輝いて見えた。
そして、彼女との甘い時間を堪能したのだ。
彼女はあらかじめ魔法が解ける時間を王子様とのムードが最高潮の時に設定していた。
そして、急にソワソワしだし、モジモジしだし、キョロキョロしだした。
彼女の様子が気になった王子さまはどうしたのか尋ねると彼女は急に、
「もう別れないといけない」と切り出し走ってブドウ会の会場を後にした。
こんな美女はもう2度と現れないだろうから、逃したくないと洗脳されていた
王子さまは慌てて追いかけたがあとに残ったのは、彼女が残したガラスの靴だけだった。
そう、これこそシンデレラが演出した余韻の美学だ。
例えば、テレビを見ていても続きが見たいところにCMが入ったりする。
続きが見たくなるように、彼女も王子様がもう一度逢いたくなるように
余韻を存分に残して去っていった。
いかがだっただろうか。
この後、王子さまは国中の女性にシンデレラが忘れたガラスの靴を履かせ、
その人物を特定していき見事にシンデレラまで行き着き最高のフィナーレを
飾った、、、のは言うまでもないだろう。
僕は彼女はずる賢いとか、執念を持っていたとか、いろいろあざといことを
書いてきたが彼女はそれでもやはり美しいと思う。
夢を捨てずに、どんな手段を使ってでもかなえてやろうという
心構えは確実に参考になると思う。
王子様と結ばれたシンデレラが忘れたガラスの靴は結果的に、
値千金の価値を持つ愛のキューピットと化した。
どんな立場からでも、方法を見つけ出し目的を手繰り寄せる姿勢を
僕は彼女の生きざまから学んだのさ。
目的があっても踏ん張れずにいるあなたには彼女の
いわば、シンデレラストーリーをぜひ堪能してほしい。
挫折したら、はい次!
ごーせん