「ウ〇コ」を漏らしたときに気づいた母の愛とそれに伴う純情な感情

 

なたは赤ちゃんの頃、ウ〇コを漏らしまくっていたと思う。

 

僕もそうだ。

 

しかし、僕は小学生の時に忘れられないウ〇コ体験がある。

 

「急に、ウ〇コの話かよ!」と思われたかもしれないが、

僕はここから親の愛、母の愛を感じずにはいられなかった体験が

あるので是非ともあなたに共有したいのだ。

 

そう、あれは今でも脳裏に焼き付いている。

 

それは突然に訪れた、というかモヨオした

 

僕の地元は愛知県豊田市の片田舎、

まさにドがつくほどの田舎だ。

 

小学生の頃は学校までの距離が遠く、小学生が歩いていく距離では

なかったのでバスで通っていた。

 

その日は授業が終わり、バスが学校の正門に到着するまでの間

運動場で遊んでいた。

 

最初は何も感じなかった。

 

ヤツは、ブラウンはその時から僕のおなかの中に身を潜め、

今か今かと飛び出すタイミングを伺っていたんだと思う。

(以下、ウ〇コ=ブラウンと命名する)

 

今、思い出すと恐ろしい話だ。

 

間もなくしてバスが到着し、自宅までの距離が遠い

小学生メンバーはバスに乗り込んだ。

 

いつもの光景だ。

 

こうして、バスはいつもの帰り道、いつもの田んぼ道を

爽快に駆け抜けていった。

 

僕の記憶では、至る所に見られる稲穂が

頭を垂れていたからあれは秋だったんだと思う。

 

バスの中で仲の良い友達と他愛もない話をして盛り上がっていた。

 

その時、ブラウンがお腹で存在感を示し始めた。

 

そう、僕のお腹を痛めつけて執拗に攻撃を始めたのだ。

 

僕はすぐにその痛み、おなかの痛みは止むものだと思っていた。

 

しかし、ヤツは容赦のないボディーブローを内部からズンズン

継続し、その手を止めなかった。

 

僕は冷汗をかき始めた。

 

ブラウンを漏らした次の日には、クラス中でウワサが立つに決まっている。

 

大半の小学生の思考回路はたかが知れている。

 

ブラウンを漏らした奴には容赦しない。

 

それが小学生の抗いがたいオキテだ。

 

僕は必死に闘っていた

 

早くバス停に到着してくれ、早く、早く。

 

心の中で神頼みをしながら、ブラウンの攻撃を受けていた。

 

防戦一方だ。

 

ここで負けたら一環の終わりだ。

 

バス停までもうすぐ。

 

間もなくこの闘いも終わりが来るであろう。

 

これだけバス停を待ちわびたことがあろうか。

 

あの古びたバス停を。

 

ブラウンはもう僕の中から飛び出さんばかりの勢いをつけていた。

 

その時、ブーっというブザーが鳴り響きバス停に到着した。

 

僕が下車するバス停だ。

 

友達にバレないように上手いことお腹をさすりながらバス停を降りた。

 

しかし、ここから自宅まで歩いて10分。

 

まだゴールは程遠い。

 

しかしこの時、僕はすでに悟っていた。

 

ブラウンが僕のホワイティーなインナーに付着していたことを。

 

防戦一方、必死に守る僕のホールから彼は飛び出してきたのだ。

 

闘いは終わっていたのだ。

 

友達にはバレなかったものの、あっけない幕切れとなった。

 

悔しくてならなかった。

 

あぁ、こんなに切ない思いになるのか。

 

僕は帰宅途中、少しあきらめムードになりながら家に向かっていた。

 

家ではオカンが待っている。

 

オカンに事の次第を話して新しいホワイティーを準備してもらおう。

 

そう思い、帰宅の途についた。

 

「ただいま」といつも通りに玄関を開けた。

 

「おかえり」とオカンがいつものように出てきて、

僕は事の次第を話した。

 

漏らしたことは内緒にしておいてほしいと懇願した。

 

オカンは笑いながら「誰にもいわないよ」とだけ言った。

 

そして、僕はズボンを脱ぎ問題山積のインナーへと手をかけた。

 

あー、たくさん出てしまっていた。

 

ブラウンは強い。暴走を始めたブラウンには勝ち目はない。

 

僕はおもむろにインナーを脱ぎ始めた。

 

僕のホールの部分のインナー全体にブラウンはドッサリと

溜まっていた。

 

今回のブラウンは柔らかい顔をして飛び出していた。

 

挙句の果てにブラウンのやつ、とんだ匂いまでご褒美しやがる。

 

ゆっくりゆっくりインナーを脱ぎ、オカンこれ、と見せた。

 

オカンは何も言わず、それをトイレへ持っていった。

 

と、その時だった。

 

僕はその後も忘れない光景を目の当たりにした。

 

僕のうちは昔、和式便所だったんだが、オカンがそこへ僕の

汚れたインナーを持って行った。

 

そして、水を流しながら、素手で洗っていたんだ。

 

素手で。

 

僕は、僕のインナーを洗うオカンの後姿を見ていた。

 

すごいな。

 

自分のブラウンを洗うのも嫌なはずなのに。

 

人のブラウンを何も言わずにもくもくと洗っている。

 

僕は今でも覚えている。

 

あれができるのはオカンだからだ。

 

僕はこのシーンを回想し、愛の概念を一つ定義づけた。

 

愛とは、汚いものを受け入れる心の器である

 

これは紛れもなく、後から僕の中で抽出された言葉だ。

 

まさにビッグママ。

 

彼女のインナーバシャバシャのシーンを

見なければこんな言葉、思いつかない。

 

綺麗なものは誰でも受け入れることができる。

 

綺麗なものを愛することは簡単だ。

 

しかし、「汚いもの」を受け入れることは簡単ではない。

 

絶好調の時ではなく、絶不調の時にソバにいてくれた人を

大切にしなさいと聞いたことがある。

 

底辺を共有することが愛の共有なのではないか。

 

僕が見たあの光景は、愛のパラドックスを教えてくれていたのかもしれない。

 

まさにビッグママ。

 

 

ごーせん

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